「オラクルデータ販売」の非難に対する MakerDAO の反論
DeFiの世界では「オラクル」はギリシャ神話の預言者ではなく、従来ネットワークとブロックチェーンの間でデータを渡す便利なツールを意味する。
そのオラクルを巡って、Chainlink と MakerDAO というこの分野の2大プレイヤーの論争が起こった。
先週、Chainlinkアンバサダーである ChainLinkGod は、Makerのオラクルは価格データを販売しており、買い手が優先的にポジション清算ができるようにしていると非難した。
Makerオラクル
Maker Foundationのバックエンドサービスの責任者であるNik Kunkel氏は、プロジェクトのフォーラムでこの告発に反論。 "MakerDAO と Maker Foundation は直接的にも間接的にも、特権的な価格情報の使用や販売によって利益を得たことはない」と述べた。
Kunkel氏の回答を受けて、ChainLink God は自身の立場を修正している。「Makerのオラクルは、署名入りの価格データの独占権を販売していたことはなく、また現在も販売していないことは明らかだった。目にしたトランザクションも、論理的で工学的な理由が背景にある、特定状況の結果に過ぎないものだった」とツイートした。
クローズド・プラットフォームは公平な競争の場を求めるDeFiコミュニティの考えに反するため、この疑惑の波紋は大きくなった。清算人(通常はボット)は、ユーザー担保を生産するための価格データをオラクルに依存している。この情報へのアクセスが非公開になった場合、ボットは正常に仕事をすることができず、DeFi が取って代わろうとしている不透明な伝統的金融と同じシステムになってしまう。
ゴシップ・ネットワーク
ChainLinkGod が最初の非難で引用したDiscordユーザーのNathan_は、"私は今でも、伝統的金融のような裏取引ではなく、最高のソフトウェアと最も賢い開発者が勝利する、誰にとっても平等な競争の場を信じている。" と話した。
Maker の清算人は、借り手の担保率が最低水準を下回った時に、担保を安く買い取ることで借り手のポケットから利益を得る。例えば担保率が150%の場合、ユーザーは100ドルのETHを担保に最大50ドルのDAIを発行することができる。ETHの価格が下がった場合、担保率は150%を下回るため、清算人はDAI発行者のETHを清算してもよい。
MakerDAOのオラクルでは、不透明さが問題となった。彼らは “Oracle stack” の ”Transport Layer” の一部として、”Scuttlebot” と呼ばれるピアツーピアのゴシップネットワークを使用しており、それが全体的な機能の重要な部分を占める。昨年11月、Scuttlebot上のファイルがサイズ制限に達し、担保資産のオラクル価格を構成するフィードがオフラインになってしまった。 オラクルは正式価格を確認するために最低限の数のフィードに依存しているが、一定数のフィードがオフラインになり、その結果オラクルもオフラインになったのだ。
ChainLinkGodはこれを不正行為だと認識したが、実際にはFlashbotsがトランザクションを処理する「ブラックボックス」が原因だった。
これを受けてメーカーチームはサイズ制限を増やしたものの、この変更が他の場所で悪影響を及ぼすことを考慮し、Scuttlebotネットワークへのアクセスを非公開にした。
そのため清算人は、オラクルの価格情報から締め出されてしまった。そこで彼らは清算機会を先取りするため、取引の待機場所となる「mempool」に目を向けた(マイナーはmempoolからトランザクションを取り出し、ブロックチェーンに追加する)。
しかしMEVへのアクセスを民主化しようとするプロジェクト「Flashbots」の台頭により、ゲームの流れが変わった。ブロックチェーンに取り込まれるための入札合戦は難読化され、オフチェーン化された。これによりユーザーは、清算人たちが清算の機会を見つけていたトランザクションにアクセスできなくなったことを意味する。
ブラックボックス
今回のトランザクションは、オラクルフィードと清算を一緒にバッチ処理したような形がオンチェーンに見られたが、これは他の誰も清算を行う機会を得られなかったことを意味する。ChainLinkGod はこれを不正行為だと認識したが、実際にはFlashbotsがトランザクションを処理する「ブラックボックス」が原因だった。
DeFiのオープン性を支持する人は、TradFiの裏取引に似たようなことがあれば、すぐに指摘され、分析されるだろうと安心している。今回のケースでは Maker が悪事を働いたわけではなかったが、分散化の価値が健在であることを示す、喜ばしい出来事だった。